韓国に盗まれた仏像 → 「別の仏像贈る」 ヒドすぎワロタ

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日韓の主張が対立し、仏像が戻る見通しが立たない中、韓国側の僧侶のある発言が波紋を広げている。韓国・浮石寺の僧侶は「わたしたちが(対馬に)行って、今回の仏像問題を解決できればと思います」と話した。仏像を返すのではなく、この僧侶自身が対馬へ向かうという。

韓国・浮石寺の僧侶は、別の小さな仏像と、寺を象徴するマスコットを持っていくという。浮石寺に問い合わせしたところ、寺の象徴であるマスコットの写真が送られてきた。マスコットは非常にカラフルで、はっきりとした顔立ちとなっている。

対馬仏像盗難 韓国僧侶の「別の仏像贈る」発言に関係者は怒り




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盗まれた仏像


李氏朝鮮時代の仏教(1392年~1910年)

 高麗時代末期から李氏朝鮮(りしちょうせん)の時代は、儒教の朱子学(しゅしがく)が導入されたことにより、仏教は弾圧されていきます。

  李氏朝鮮の時代は初代太祖(てじょ)から第九代成宗(そんじょん)までを前期、第十代の燕山君から第二十七代純宗(すんじょん)までを後期とします。

  初期の時代には、無学自超(むはくちゃちょ)の活躍もあり王の指示も得られていましたが、第三代の太宗(てじゅん)から寺院の統合と宮廷における仏教儀礼の廃止などの厳しい抑圧政策が行われるようになりました。

 後期に入ると、第十世燕山君(よんさんぐん)、中宗(ちゅんじょん)、仁宗(いんじょん)と80年間に渡り仏教は徹底的に排撃されました。 このように朱子学だけを尊ぶ宮廷内において、仏教は主に女性の間で信仰され続けました。

盗まれた仏像は・・・

結髪が高く、双肩に垂髪・大きめの耳当、胸から両膝にかけての瓔珞、腕釧、裾の括り紐の真横の結び目、衣褶の煩雑な処理など、装飾過多な造形感覚を示していて、高麗時代中期から末期にかけての仏像の特色を窺うことが出来ます。

像内から発見された結縁文に、高麗国瑞州浮石寺の名があり、天暦3年(元徳2年 1330年)2月に戒真ら三十数名の発願によって造立されたことが記録されています。

本体部は、惣型による一鋳造で、金厚もかなり厚く、湯廻りもよく鋳上げられています。

ただ、火中したために裳先が小損し、地肌にも荒れが認められ、当初の光背や台座は亡失しています。

観音寺の観世音菩薩坐像


高麗で造立されたということは明らかになってます。

しかし、その後の李氏朝鮮時代に仏教弾圧があり、どう考えても日本が盗んだって可能性は低い・・・ っていうかそんなこと解んないでしょ?普通。

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これらは李氏朝鮮時代に首チョンパされてしまった仏像の一部。

検索かければまだまだ発見できます。


こんなことをするミンジョクに

「元々はそっちが盗んだ」

とかいう資格なし!!
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by killingmoon581 | 2013-03-14 01:21 | 海外
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